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日本历史人物:小林多喜二

时间:2012-12-28 20:06来源:未知 作者:李老师 点击:

書くこと自体が生死を賭けた戦いだったこの国にはそんな歴史がある。それも明治や江戸時代の話ではなく、昭和のことだ。 写作本身即为一场堵上生死的战斗这个国家曾有如此历史

書くこと自体が生死を賭けた戦いだった…この国にはそんな歴史がある。それも明治や江戸時代の話ではなく、昭和のことだ。
写作本身即为一场堵上生死的战斗……这个国家曾有如此历史。这不是明治或是江户时代的旧闻,而是昭和的故事。
特別高等警察、略して特高。手塚治虫の『アドルフに告ぐ』にも登場するこの組織は、体制に反対する労働組合員や反戦平和活動家など、政府に逆らう思想犯を徹底的に取り締まる目的で明治末期に設立され、その後敗戦まで強権をふるった。
特别高等警察,简称“特高”。手冢治虫的《告阿道尔夫》中也有该组织的登场,其设于明治末期,目的是彻底铲除反体制的工会成员和反战和平运动家等不服政府的思想犯,此后它横行一时,直至日本战败。
翌年、26歳の彼はオホーツク海で家畜の様にこき使われる労働者の実態を告発した『蟹工船』を発表する。蟹工船は過酷な労働環境に憤ってストライキを決行した人々が、虐げられた自分たちを解放しに来てくれたと思った帝国海軍により逆に連行されるという筋で、この作品で彼は大財閥と帝国軍隊の癒着を強烈に告発した。登場人物に名前がなく、群集そのものを主人公にした抵抗の物語は、ひろく一般の文壇からも認められ、読売そして運命の1933年2月20日。非合法組織の同志と会うために都内の路上にいた所を、スパイの通報によって逮捕される。この時、逃げようと走り出した多喜二に向かって、特高は「泥棒!」と叫び、周囲の人間が正義感から彼を取り押さえたという。同日夕方、転向(思想を変えること)をあくまでも拒否した彼は、特高警察の拷問によって虐殺された。…まだ29歳の若さだった。
于是,命终的日子1933年2月20日到了。为与非合法组织的同志碰头,他站在都内道路上,就在此时有特务通风报信,见警察赶来逮捕,小林意欲脱逃,特高朝他叫喊道:“小偷!”,周围人受正义感驱使,当即摁住了他。当天傍晚,至始至终拒绝“转向(改变思想)”的小林多喜二惨死在特高警察的拷问下。……年仅29岁。
彼の亡骸を見た者が克明に記録を残している。「ものすごいほどに青ざめた顔は激しい苦痛の跡を印し、知っている小林の表情ではない。左のコメカミには打撲傷を中心に5、6ヶ所も傷痕があり、首には一まき、ぐるりと細引の痕がある。余程の力で絞められたらしく、くっきり深い溝になっている。だが、こんなものは、体の他の部分に較べると大したことではなかった。
亲见他的亡骸的人留下详细记载:“这不是我所熟知的小林的表情,展现这张惨白面孔上的,是极端痛苦的痕迹。左边太阳穴的一个撞伤周围有5、6处伤痕,脖颈上有一圈用细麻绳用力勒过的痕迹。看起来用了很大力量,分明地形成一道很深的沟痕。然而,这些伤痕与身体其它部分相比还算轻微了。
下腹部から左右のヒザへかけて、前も後ろも何処もかしこも、何ともいえないほどの陰惨な色で一面に覆われている。余程多量な内出血があると見えて、股の皮膚がばっちり割れそうにふくらみ上がっている。赤黒く膨れ上がった股の上には左右とも、釘を打ち込んだらしい穴の跡が15、6もあって、そこだけは皮膚が破れて、下から肉がじかに顔を出している。
从下腹至左右膝盖,前前后后到处都呈现出一层难以言状的阴惨之色。能看出有大量的内出血,大腿的皮肤朝上隆起,似乎完全被切开。暗红色的、浮肿的大腿上,左右都有敲进铁钉后的穴口痕迹,竟达15、16处之多,这里的皮肤已经溃烂,其下的肌肉直接暴露在外面。
歯もぐらぐらになって僅かについていた。体を俯向けにすると、背中も全面的な皮下出血だ。殴る蹴るの傷の跡と皮下出血とで眼もあてられない。しかし…最も陰惨な感じで私の眼をしめつけたのは、右の人さし指の骨折だった。人さし指を反対の方向へ曲げると、らくに手の甲の上へつくのであった。作家の彼が、指が逆になるまで折られたのだ!この拷問が、いかに残虐の限りをつくしたものであるかが想像された。『ここまでやられては、むろん、腸も破れているでしょうし、腹の中は出血でいっぱいでしょう』と医者がいった。」
所剩无几的牙齿摇摇晃晃。将身体翻转过来,会看到背上也有大面积的皮下出血。如此殴打踢伤的痕迹和皮下出血实让人不忍目睹。然而......最让我感到毛骨悚然并深受冲击的,是他右手食指的骨折。把食指朝反方向弯曲,就能轻易将其扳至手掌上方。身为作家的他,手指竟被反方向地弯折。足以想象这场拷问是如何残虐之至。医生说:‘摧残到这种程度,无疑肠已经破裂了,腹中恐怕全是积血吧’。”

 

 

警察が発表した死因は心臓麻痺。母親は多喜二の身体に抱きすがった。「嗚呼、痛ましい…よくも人の大事な息子を、こんなになぶり殺しにできたもんだ」。そして傷痕を撫でさすりながら「どこがせつなかった?どこがせつなかった?」と泣いた。やがて涙は慟哭となった。「それ、もう一度立たねか、みんなのためもう一度立たねか!」。
警察公布的死因为心脏麻痹。母亲紧紧搂住多喜二的身体哭喊:“啊、真痛心...竟将我最珍爱的儿子如此残杀。”接着抚摸着伤痕哭泣道,“哪里感到疼痛?哪里感到疼痛?”最终大声恸哭。“起来,你还能再度站起来吗?为了大伙儿,还能再度站起来吗!”
特高の多喜二への憎しみは凄まじく、彼の葬式に参列した者を式場で逮捕する徹底ぶりだった。彼の死に対して文壇では志賀直哉だけが“自分は一度小林に会って好印象を持っていた、暗澹(たん)たる気持なり”と書き記した。この国の文学界は沈黙を守ったのだ。どの作家も、自分に火の粉が降りかかることを恐れたためだ。
特高对多喜二的憎恨是惊人的,他们一个不漏地当场逮捕了参加他葬礼的人。对于他的死,文坛中仅有志贺直哉写道:“我曾与小林有过一面之缘,对他印象不错,现在我的心境是暗淡无光的。”因为这个国家的文学界固守沉默。任何一个作家都畏惧牵累自己。
多喜二の訃報を聞いた中国の作家・魯迅は次の弔電を寄せた--「我々は知っている、我々は忘れない、我々は固く同志小林の血路に沿って前進し、握手するのだ」。
後年、多喜二の弟が兄の思い出を語っている--「地下活動していた兄を訪ねたときに、2人でベートーヴェンを聴きました。バイオリン協奏曲です。その第一楽章のクライマックスで泣いていた兄の姿が忘れられません」
※听闻多喜二讣报的中国作家鲁迅寄来这样一份吊辞,“我们是知道的,我们也不会忘记。我们会坚强地沿着小林同志的血路携手前进。”

多年后,多喜二的弟弟回忆起兄长说:“探望正在进行地下活动的兄长时,两人一起倾听了贝多芬的乐曲。是一段小提琴协奏曲。听到第一乐章高潮部分的兄长泣不成声,他那时的形象让我难以忘怀。”

(责任编辑:李老师)
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