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日本历史巡礼之江户时代大奥

时间:2012-12-28 19:51来源:未知 作者:李老师 点击:

大奥の存在| 大奥的存在 初代将軍・ 徳川家康 の頃から江戸城の中に、『 大奥 』と呼ばれるものはありました。当時は『表』である男性が 政治 を行う場所と、『奥』である女性が

大奥の存在|大奥的存在

初代将軍・徳川家康の頃から江戸城の中に、『大奥』と呼ばれるものはありました。当時は『表』である男性が政治を行う場所と、『奥』である女性が家政を行う場所の境界がありませんでした。この境界が敷かれたのは、1,618年に第2代将軍・徳川秀忠が『大奥法度』を制定したことによります。制定以後、『表』は幕府政庁、『中奥(奥)』が、将軍が政務執る場所、『大奥』が将軍の私邸とされました。この後、第3代将軍・徳川家光の乳母、春日局によって組織的な整備がされ、私たちが現在知る形の大奥になっていきました。

从第一代将军·德川家康时期开始江户城内就有了“大奥”,在当时并没有男性处理政务的“表”和女性处理家政的“奥”之说,这一说法的出现还要追溯于1618年第二代将军·德川秀忠制定的《大奥法令》,法令制定以后,“表”作为幕府的官厅,“中奥(奥)”是将军处理政务的场所,而“大奥”则作为将军的私人宅邸。此后第三代将军·德川家光的乳娘春日局组织重整这一制度,也就是我们现在所知道的大奥。

大奥の構造|大奥结构

大奥が置かれていたのは、江戸城本丸、二の丸、西丸の3つのです。将軍夫妻は本丸、二の丸は将軍生母や、かつて将軍に仕えていた側室、西丸は世嗣夫妻、大御所夫妻の私邸になっていました。本丸御殿は表、中奥、大奥に分けられていて、表と中奥は続き御殿でしたが、中奥と大奥の間には、頑丈な銅塀で仕切られていて、それをつなぐ廊下が、有名な『御鈴廊下』です。将軍が大奥に出入りするときに鈴が鳴らされ、それを合図に御錠口の鍵を開けていたことから、この名前がついています。大奥は大きく御殿、広敷と長局3つに分けられています。

大奥位于江户城内,由本丸(包括本丸御殿及天守阁,现今为东京皇居东御苑的一部分)、二之丸、和西丸构成。将军夫妇居住于本丸,二之丸是侍奉将军生母和将军本人的侧室,西丸作为皇室后代夫妻或前代退位夫妻的宅邸。本丸御殿分为表、中奥和大奥,表与中奥是御殿的延伸,中奥与大奥之间有一道坚固的铜制屏障,连接大奥和中奥的走廊就是著名的“御铃廊”。将军出入大奥时铃声就会响起,以此为信号开启入口,御铃廊也由此得名。大奥总的划分为御殿、广敷和长局。

大奥の身分|大奥的身份地位

御台所|御台所

大奥一の女主であり主宰者でもあるのが、将軍正室である「御台所」である。御台所は、公家・宮家・天皇家から迎えるのが慣例となっていた。

御台所是大奥中权力最大的女主人,也是将军的正妻。按照惯例,御台所一般是从大臣、皇室贵族和天皇家族中挑选。

側室|

将軍の側室は基本的に将軍付の御中臈から選ばれる。将軍が目に適った者の名を御年寄に告げると、その日の夕刻には寝間の準備をして寝所である「御小座敷」に待機していた。

将军的侧室基本是从随侍将军的女官御中臈中挑选,将军将选中的名字告诉御年寄(女官名),当日的傍晚选中的女官要做好侍寝的准备并在“御小座敷”(休息室名)里待命。

大奥女中|大奥女中

幕府から給料が出されていた女中全てを『大奥女中』と言い、最盛期で1,000~3,000人がいました。基本的に女中は将軍付きと御台所付きに分けられていましたが、役職名は同じでも、将軍付きの方が格式権威が高いものとなっていました。

由幕府出资供养的女佣人统称为“大奥女中”,全盛时期大奥女中的数量达到1000~3000人。基本上又分为跟随将军的女中和跟随御台所的女中,虽然都称为女中,但侍奉将军的一方地位和权威更高。

(责任编辑:李老师)
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